当たり前のことが当たり前ではない

以前、TVを見ていたら二未成年中ぐらいの男性がクライアントと話すのが拒否だけれど、見解生業なので克服したいということで、落語住宅に弟子入りを通じて、仲間が何を恋い焦がれるのかを見極めて、講話に繋げていくといったような企画があっていました。そのコンテンツはもちろん、勉強になったのですが、金字塔度肝を抜かれた光景が拒否を克服するために弟子入りした際、その男性がお茶を入れるように頼まれた光景です。その男性は一旦、湯呑みをアームに持ち、そこにじかにお茶っぱを入れて湯を注いだのです。中国種類ですか?お茶ぐらい誰でも淹れるだけならば淹れれますよね?美味く淹れるのはむずかしいけれど、お茶の入れ人物ぐらいは流石に分かります。落語住宅様も唖然、日本の人物ですよね?とネタだけれどもいってしまう処置。私も見ていて唖然としました。けど、それが現代の未成年なのかもしれないですね。あたしは家で急須でお茶を入れて飲むのは当たり前でしたが、最近はペットボトルやティー鞄のお茶があるので、家でお茶を入れないのが当たり前の家事もあるのかなと、時とともに当たり前の図形も変わっていくのだなと思いました。http://www.classicbaklava.com/